出版物紹介


西泠八家印存前後冊
丁鶴廬研究会発行 2018年8月
縦29.5cm×横21cm 厚さ0.7cm カラー印刷
定価3,000円  販売中

 

 
 
 

『丁輔之蔬果冊』 
丁如霞編 西泠印社出版社発行 2009年4月
縦29.3cm×横21.5cm 厚さ1.4㎝ カラー印刷 

定価2,800円(税込)  残り僅か
 
 
 
  

【解題】
故祖父鶴廬(字輔之)は1879年に生まれた。1924年、46歳になった祖父は、水墨画を描き始めた。ちょうど早春2月の梅花全開の頃に遇い、祖父は興に乗って、立て続けに十数枚の絵を描いた。「墨梅」、「紅梅」、「緑梅」と題したデビュー作が生まれ、独自の趣があることから、たちまち篆刻界で大きな話題となった。いろいろな友人から貰えないかと頼まれる度、祖父は嬉々と絵を描いては他人に贈り、作品に一層磨きがかかったのだ。現在、残されている祖父の水墨画の中、梅花が最も多いのも、その由縁であろう。
 1927年(丁卯)9月、祖父が49歳のとき、12頁にわたる四季の野菜果物の水墨画冊子を一気に仕上げたのだ。10月1日、呉昌碩先生は冊子の標題に「鶴廬眇畫」、題字を「饞涎満口」と書き下ろし、五律の詩も作った。続いて、徐珂、呉徴、郭似燻、李庸、金蓉鏡、高存道もそれぞれ題字を書き記した。ちょうどその時、祖父が最も可愛がっていた末娘(叔母・閬平)はこの冊子が大変気に入り、父親に他人に譲ないよう頼んだという。以来、叔母が冊子を持ち続けることができたが、彼女は脚の疾病が原因で終生嫁がずにいた。祖父は一九四九年に他界し、両親は戦後、台湾に渡り生き別れとなった為、私はこの叔母とともに五十年このかた生活していた。2000年4月23日、叔母がこの世を去り、彼女が保存していた「鶴廬眇畫」は自然と私が受け継ぎ守っている。
 この度、黄泉に旅立たれた祖父を偲び、亡き叔母にも思いを寄せ、この丁家が珍蔵する「鶴廬眇畫」をより多くの愛好者の方々に鑑賞して頂きたく、公開・出版することにした。(丁如霞)
                          
 

観水游山集』
西泠印社出版社発行 2010年4月
縦26.5cm×横15.5cm 厚さ2㎝ カラー印刷 
定価3,000円(税込) 完売

 
 
 
 
 

【解題】
 本巻は先祖父鶴廬公の性格、趣味、交友関係の他、当時の文人達の生活様式を窺い知ることができる貴重な資料であり、また、甲骨文研究や創作をする上で欠かせない一冊です。
本巻は甲骨文で書かれた全長14メートルに及ぶ鶴廬公の紀游詩集の巻物を折畳んで手軽に読めるように印刷したものです。
 巻首は甲骨文題句に始まり、そして鶴廬公の観水游山の様子を描いた水墨画小影四点へと続くのですが、なんとその画中には本人の顔写真がモンタージュされており、真面目で厳格な人柄と伝えられた鶴廬公の知られざるユーモアたっぷりな一面を見せています。
 本巻の中心は甲骨文と楷書の釋文で綴る紀游詩です。はじめは1932年(54歳)、郭和庭、方介堪らと雁蕩山に旅した紀游詩四十余首。続いて1933年、上海友声旅行団に参加し、西岳華山・開封洛陽での紀游詩。引き続いて1934年、沈杏初らとの華北紀游詩。次に1935年、正月に王福庵との奉化雪竇山游詩。最後は同年4月に陳叔通、王福庵他5名での雁蕩・處州・麗水・新昌への紀游詩となっています。鶴廬公は1936年11月にこれらを写し終え、翌1937年、巻物に仕立てたのです。本巻は実に五年という時の積み重ねを集大成したものであり、甲骨文研究の第一人者としての造詣深さと溢れる文才を持ち合わせた鶴廬公の代表作の一つと言えましょう。
 巻尾には、巻物を読んだ方々の題字がありますが、1992年夏に、最後に名前を書き残した唐雲は、いつの日にかの出版を期待し簽条を揮毫しました。その書がまさに、この本巻の表紙となっているのです。
 篆刻の聖地・西冷印社の創立の中心メンバーである鶴廬公は生涯、甲骨文や印学などの研究と発展に心血を注ぎました。その人生の一部を綴った日誌とも言える「観水游山集」は、丁家代々の秘蔵とされていたものですが、この度、先祖父の遺志を受け継ぎ、より多くの研究者や愛好者が鑑賞できるよう、広く出版公開することにしたのです。(丁如霞)
 

丁鶴廬西泠八家印存稿
丁鶴廬研究会発行 2003年11月
縦29.5cm×横21cm 厚さ0.7cm カラー印刷
定価2,500円 完売

 

 
 

 
 

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